※当ブログにはプロモーションを含みますが、記事内容は公平さを心がけています。
フランス映画の古い作品に興味があっても、どれを見たらよいか分からない方におすすめなのが、若き日のアラン・ドロンの魅力があふれる『太陽がいっぱい(Plein Soleil)』です。
この記事では、フランス映画『太陽がいっぱい』のあらすじ、アラン・ドロンを筆頭とする魅力的なキャストが演じる登場事物に加え、映画の見どころや邦題の「誤訳疑念」についてご紹介します。
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『太陽がいっぱい』の概要
映画『太陽がいっぱい(Plein Soleil:1960年)』はアメリカの貧しい青年トムの野心を描いたサスペンス映画で、イタリアを舞台にした仏・伊合作映画です。
富豪の財産を乗っ取ろうと企むトムを演じるのはアラン・ドロン。
当時はほとんど知られていない俳優でしたが、この『太陽がいっぱい』で一躍世界的に有名になりました。
ガラスのように透き通った青い目の容貌は「二枚目」の代名詞となり、世界中の女性を虜にしました。派手なスーツも、平凡なシャツもセクシーに着こなす姿は、女性だけでなく男性もため息を漏らしたのではないでしょうか。
しかし、アラン・ドロンが成功したのは、単に容姿のせいだけではありませんでした。
彼の演技もまた、印象的でした。
彼が演じた青年トムはサイコパスのような一面があり、ぞっとするような冷徹さをもって淡々と計画を実行していきます。
アラン・ドロンはこの心の闇を抱えた青年役を、魅惑的且つ大胆に演じました。
ナポリのどかな港町やローマの街並みなど、古き良き時代のイタリアが名曲と共にノスタルジックな気分に浸らせてくれます。
それでいながら、サスペンス特有の緊張感は、今も色あせていません。
監督は『禁じられた遊び』のルネ・クレマン(Rene Clement)。
哀愁を帯びた主題歌を手掛けたのは『ゴッドファーザー』で有名なニーノ・ロ―タ(Nino Rota)です。
『太陽がいっぱい』のあらすじと魅力的なキャストが演じる登場人物
映画『太陽がいっぱい』のに登場する名似の登場人物とキャストをご紹介します。
トム・リプレー(Tom Ripley)を演じるキャスト:アラン・ドロン(Alain Delon)
貧しいアメリカ人の青年「トム・リプレー」を演じるのは大人気俳優のアラン・ドロン(Alain Delon)。
イタリアで放蕩生活をしている息子フィリップを5,000ドルの謝礼金で連れ戻すように依頼されます。
トムはイタリアに飛んでフィリップを説得するために行動を共にし、彼の豪遊ぶりを目の当たりにすると同時に、フィリップに使い走りのようにこき使われることになります。
自分が貧乏人で惨めな立場にあることを思い知らされたトムは怒りを内に秘め、フィリップになりすます完全犯罪を企みます。
フィリップ・グリンリーフ(Philippe Greenleaf)を演じるキャスト:モーリス・ロネ(Maurice Ronet)
富豪の放蕩息子「フィリップ・グリンリーフ」を演じるのはモーリス・ロネ(Maurice Ronet)。
フランス人の恋人マルジュをイタリアに連れてきたものの、マルジュをほったらかしにして、トムと一緒に不道徳な遊びに耽ります。
フィリップは貧乏青年トムを見下して、彼のプライドを傷つけます。
その結果、トムの恨みを買うことになってしまいます。
マルジュ・デュバル(Marge Duval)を演じるキャスト:マリー・ラフォレ(Marie Laforet)
マルジュ・デュバルはフィリップの恋人で、生真面目でナイーブな内面を備えています。
フィリップのいい加減な言動に苛立ちながらもフィリップのことを愛しています。
フィリップが買ったヨットには「マルジュ」の名前がつけられ、フィリップとトムと海に出ますが、そこで思いがけないことになってしまいます。
演じるのはマリー・ラフォレ(Marie Laforet)です。
フレディ・マイルズ(Freddy Miles)を演じるキャスト:ビル・カーンズ(Billy Kearns)
フィリップの友人で、同じく裕福な家庭の息子の「フレディ・マイルズ」を演じるのはビル・カーンズ(Billy Kearns)。
フィリップ同様に放蕩生活に明け暮れています。
フレディは初めてトムに会った時から、彼を毛嫌いしていました。
リコルディ刑事(l’inspecteur Riccordi)を演じるキャスト:エルノ・クリサ(Erno Crisa)
リコルディ刑事は殺人事件を捜査するイタリアの刑事。
トムを疑い、執拗に追います。
演じているのはエルノ・クリサ(Erno Crisa)です。
サスペンス映画『太陽がいっぱい』の見どころ
文字通り太陽がいっぱい降り注ぐ明るいイタリアの街の下で、暗く屈折した青年が淡々と犯罪に手を染めていく様子が対照的です。
トムの心の動きは、カメラによって、荒れた海、子供たちの遊ぶ姿、トムの背中、マルシェに並べられている魚、太陽などで表現されています。
当時は、特撮の技術がなかったでしょうから、洋上の撮影はたいへんだっただろうなあと思います。
映画の背景になるイタリアの古い港町ですが、石造りの街ですからきっと今もあまり変わっていないような気がします。
『太陽がいっぱい』のテーマ曲を聞くと、「ああ、イタリアに行きたい」と思わずにはいられません。
そしてこの映画の見どころは何といっても、「アラン・ドロンそのもの」の一言です。
今見ても美しすぎます。
女性の手にキスをする時の目つき、なにげないポーズ、妄想に耽るときの乱れた表情にゾクゾクします。
主演アラン・ドロンの半生
『太陽がいっぱい』で一躍スターになったアラン・ドロンですが、その半生は生易しいものではありませんでした。
4歳の時に両親が離婚して、一時親戚に預けられて育ったことが心の傷になります。
恐らく愛情不足もあって不良少年になり、様々な問題を引き起こしました。
転々と職を変わり、この頃のフランスは国民皆兵だったので、兵役は海軍で務めました。
これらの経験が『太陽がいっぱい』の屈折したトムの心理を自然に表現することに役立ったのでしょう。
邦題の『太陽がいっぱい』は誤訳?
この映画のフランス語での原題は『plein soleil』です。
「plein soleil」は、「太陽がいっぱい」と訳すより、「en plein soleil:太陽の下で」の方が良かったのではないかと疑問を呈する声があります。
しかも、一般的に「plein soleil」と聞くと、フランス人は「en plein soleil」と想像する人のほうが多いはずです。
「plein」は「いっぱいの」という形容詞なので、「太陽がいっぱい」は厳密には誤訳ではないと思いますが、「太陽=お天道様=神様が見ている」という暗示的な意味を醸し出すタイトルをつけても面白かったかもしれません。
ただ、フランス人は太陽から神をイメージしないので、あくまでも日本向けの邦題タイトルになります。
筆者は「太陽がいっぱい」という和訳は、「太陽の下で」よりも印象的な響きなので、広告の観点からは「太陽がいっぱい」で成功したと思っています。
ちなみに「pleine lune」は「満月」です。
まとめ
科学の発達した現在では、このような犯罪は現実的ではありませんが、トムとフレディの洋上でのやり取りやトムが自分の計画を実行する緊迫した心理が、観る側にも移ってきてドキドキしますので、サスペンスとして今でも通用すると思います。
また、『太陽がいっぱい』を観て、「昔の映画には情緒があったなあ。」と、懐かしい気持ちになりました。
最初のクレジットものんびりとしていますし、カメラの1シーンが長いのですが、イタリアの風景をじっくりとカメラで追うことで想像力が掻き立てられます。
その中で登場するホテルマンや港の老人、典型的な「マンマ」のイタリア女性たちが、映画のフレームの中で、イタリアの香りを発散させてくれます。
また、マルジュは時には清楚で可憐でとても弱々しい女性らしさが強調され、トムからは野性的で女性をリードする、男性らしい逞しさが感じられました。「女らしさ」「男らしさ」を浮き彫りにしている点が、今では新鮮に感じます。
現在は社会の価値観が大きく変わりました。
女性は社会にもっと進出して逞しくなり、男性は「草食動物」から今や「植物」と揶揄されたりするような時代になりました。
世の中は「ジェンダーフリー」の方向に進んでいますが、この映画を観た後では、「男性にはもうちょっと野性味を取り戻してもらいたいなあ。」と正直なところ思いました。
女性だったら「トムのような男性に口説かれてみたい…」なんていう心理が、今でも働くと著者は思ってしまうのですが、あなたはどう思われますか?
スイス・ジュネーブ在住
スイス生まれのフランス人と結婚した、二人の娘の母。
趣味は料理。フランス料理は義母から教えてもらったブルゴーニュ料理が得意。
特技や趣味など、詳しいプロフィールはこちら。