※当ブログにはプロモーションを含みますが、記事内容は公平さを心がけています。
2021年9月6日、フランスの大俳優、ジャン・ポール・ベルモンド(Jean-Paul Belmondo)が、パリの自宅で静かに88歳の生涯を閉じました。
『勝手にしやがれ』、『リオの男』、『ボルサリーノ』など80作以上の映画に出演し、「ベベル」の愛称でフランス人から慕われていたベルモンド。
追悼式は国家式典として執り行われ、感染症が流行しているにもかかわらず、多くのフランス人が彼を見送るために集まりました。
この機会に、追悼の意を込めてジャン・ポール・ベルモンドが出演している映画を改めて鑑賞したいと考える方も多いのではないでしょうか?
もしくは、全盛期を知らない若い方には、ジャン・ポール・ベルモンドと言っても、ピンとこない方もいらっしゃるでしょう。
そんな方のために、この記事ではジャン・ポール・ベルモンドの活躍にフォーカスしたプロフィールと、絶対に見ておくべきおすすめの傑作映画を10本選びました。
また、著者も感極まった「追悼式」の映像もご紹介しますので、ベベルの魅力を感じていただけたらと思います。
※当ブログにはプロモーションを含みますが、記事内容は公平さを心がけています。
ジャン・ポール・ベルモンドのプロフィール
また一つ、20世紀を代表するフランスの巨星が墜ちました。
輝いていた20世紀がどんどん遠くなる気がして、エミレーヌは一抹の寂しさにとらわれています。
ですが、ベルモンドを知らない世代の方にも、彼の魅力を知っていただいて記憶を繋いでいきたいので、まずは、ベルモンドの生涯からご紹介しますね。
ジャン・ポール・ベルモンド|ボクサーを夢見た少年の生涯とは
ジャン・ポール・ベルモンドは、彫刻家と画家の両親のもとで1933年に生まれ、ボクサーになることを夢見る少年でした。
しかし、ボクサーになる夢は叶わず、演劇の道に進んだところ、ベルモンドは頭角を現して舞台で活躍したのち、映画界でデビューを果たしました。
短編を入れると、映画だけで少なくとも84作に出演。
デビュー当時のジャン・ポール・ベルモンド
初演は1957年、24歳の時の『歩いて馬で自動車で:A pied, à cheval et en voiture』で、端役を演じました。
ベルモンドをスターに押し上げたのは、1959年、巨匠ジャン・リュック・ゴダール監督の『勝手にしやがれ:A bout de souffle』。
この作品で、ベルモンドはヌーヴェル・ヴァーグ時代を確立させることにも貢献しました。
ちなみに「ヌーヴェル・ヴァーグ:Nouvelle Vague」とは、英語の「New wave」の意味です。
ヌーヴェル・ヴァーグ(Nouvelle Vague」とは
「ヌーヴェル・ヴァーグ」を簡単にご説明しますと、若い監督たちによって用いられた手法で、「同時録音」、「即興演出」などが挙げられます。
『勝手にしやがれ』では、ハンディカメラでシャンゼリゼを歩くシーンや、カットを飛ばして繋ぐ、ジャンピングカットなどが当てはまるでしょう。
ジャン・ポール・ベルモンドの全盛期
1960年代は、ベルモンドが自らスタントを演じるアクション映画『リオの男』、『カトマンズの男』などが次々にヒット!
1970年には、アラン・ドロンと共演した『ボルサリーノ』が500万人の観客を動員するという、大ヒットを叩きだしました。
ド派手なアクションをスタントマンなしで演じる、サービス精神の旺盛なベルモンドにフランス人は魅了され、80年代前半の『プロフェッショナル』、『エースの中のエース』などで黄金時代を迎えます。
ジャン・ポール・ベルモンドの晩年
その後も映画や舞台に出演していましたが、徐々に出演数が減り、2001年、68歳の時に脳梗塞で倒れて長いリハビリを余儀なくされました。
2008年に映画に復帰したのですが、それ以降はスクリーンから遠ざかってしまったようです。
しかしながら、2011年にそれまでのベルモンドの功績が認められ、カンヌ映画祭で「パルム・ドール・ドヌール:Palme d’or d’honneur」を受賞、2019年には「レジオンドヌール:la Légion d’honeur」勲章が授与されました。
ジャン・ポール・ベルモンドが日本に与えた影響とは
日本では、ベルモンドの映画は1960~1970年代にかけて、アラン・ドロンと並び、人気を博していました。
当時はフランス映画の人気が高く、また、テレビでもよく放映されていたからです。
アラン・ドロンは女性に、ジャン・ポール・ベルモンドは男性に人気があったそうです。
それはベルモンドの映画が法外に高すぎて、日本ではVHSやDVDをほとんど制作できなかったからなのだそうです。
しかし、彼の体当たりのアクションは当時、色々な作品に影響を与え、日本ではアニメ、『ルパン三世』や『コブラ』のモデルになったとか。
顔だけでなく、お茶目さとニヒルさが一緒になったキャラクターも、ベルモンドそっくりです。
ジャン・ポール・ベルモンドの傑作10選
ベルモンドの魅力は、年老いて深い皺が刻まれても変わりません。
1.『A bout de souffle:勝手にしやがれ』(1960年)のあらすじと概要
上述でご説明した「ヌーヴェル・ヴァーグ」を広めた、ジャン・リュック・ゴダール監督の傑作。
ベルモンドは警察に追われるミシェルを演じ、アメリカ人のガールフレンドと逃避行に興じます。
当時の日本では、このタイトルがちょっと下品なイメージに映り、逆に目を引いたようです。
2.『L’Homme de Rio :リオの男』(1963年)のあらすじと概要
フランス空軍パイロットのアドリアン(ベルモンド)が、誘拐された恋人を追ってリオデジャネイロで繰り広げるアクション・コメディ。
のちに「カトマンズの男」、「アマゾンの男」などの「男」シリーズの先駆けとなった作品です。
共演はカトリーヌ・ド・ヌーヴの姉で、25歳の若さで事故死したフランソワーズ・ドルレアック。
日本ではアニメ『ルパン3世』のモデルになり、ベルモンドの吹き替えとルパンの声は、山田康夫さんが独特の語り口で人気を博していましたね。
3.『気狂いピエロ:Pierrot le fou』(1965年)のあらすじと概要
「ヌーヴェル・ヴァーグ」の最高峰と称賛された、ゴダール作品の集大成とも言える作品。
ベルモンドは退屈な結婚生活を送るフェルディナンを演じ、昔の彼女と破天荒な逃避行を繰り広げます。
「ピエロ」は愛人がフェルディナンにつけたあだ名です。
詩や絵画を引用した難解なセリフが多く、ブルー、イエロー、レッドのカラーコントラストが印象的でした。
4.『Le Cerveau:大頭脳』(1968年)のあらすじと概要
実際に起こった郵便列車強盗事件をモチーフにした、アクション・コメディ。
「大頭脳」と呼ばれる強盗団と、二人の脱獄コンビがNATOの軍資金を狙います。
脱獄コンビの一人、アルトゥールをベルモンドが演じました。
この映画は、公開当時500万人の観客を動員しています。
5.『Borsalino:ボルサリーノ』(1970年)のあらすじと概要
1930年のマルセイユを舞台に、ベルモンドはアラン・ドロンと共演し、若いギャング、フランソワを演じました。
ボルサリーノ(中折れ帽)がめちゃくちゃ似合い、スーツの着こなしもかっこいい二人。
6.『Le Magnifique:おかしなおかしな大冒険』(1973年)のあらすじと概要
スパイ小説作家のボブ(ベルモンド)が、「自分の作品の主人公になる」という妄想を抱くようになります。
妄想の中ではスパイ、007のようなカッコいい男、現実では冴えない作家という二つの世界を並行して描く、アクション・コメディ。
日本語のDVDはなく、英語の字幕付きのフランス語版のみのようです。
7.『Le professionnel:プロフェッショナル 』(1981年)のあらすじと概要
フランスの諜報員が国家に裏切られ、復讐を果たす、ハードボイルドアクション。
この映画で流れる『Chi Mai』は、イタリア映画音楽の巨匠、エンニオ・モリコーネが担当しました。
8.『as des as:エースの中のエース』(1982年)のあらすじと概要
ナチス支配下で行われた、1936年のベルリンオリンピックが背景になった、アドベンチャー・コメディ。
ベルモンドはフランス代表のボクシングコーチ、ジョーを演じました。
ユダヤ人一家をオーストリアに逃がすために奮闘しますが、ストーリーは重くなく、軽快な音楽と共に痛快な展開をみせてゆきます。
フランス映画『エース中のエース』のあらすじ、キャストと見どころ
9.『Itinéraire d’un enfant gâté:ライオンと呼ばれた男』(1988年)のあらすじと概要
事業を成功させ、50歳過ぎてから家庭を捨てて、アフリカで再出発するサムをベルモンドが演じます。
音楽は『白い恋人たち』、『男と女』、『ある愛の歌』など、哀愁を帯びたメロディで有名なフランシス・レイが担当しましたが、この映画音楽は、アフリカのイメージをかきたてる、壮大なドラマティック仕立てになっています。
10:『une chance sur deux:ハーフ・ア・チャンス』(1998年) のあらすじと概要
亡くなった母の遺したテープからジュリアン(アラン・ドロン)かレオ(ベルモンド)が父親だと知って、二人を訪ねる20歳の女の子、アリス。
そんな3人がひょんなことからマフィアの騒動に巻き込まれる、アクション・コメディです。
年を重ねても楽しそうに共演するベルモンドとドロンに、ファンは喜びました。
『ボルサリーノ』を先に観ておくと、オマージュがちりばめられていることがわかりますよ。
ベルモンドの人柄
気さくなベルモンドは、フランス人にとても愛されていました。
ベルモンドは、父親から「ファンを大切にしなさい。
お前がスターになれたのはファンのおかげ」と言われていたそうで、どんな時にもサインをしてファンサービスを忘れず、また、尊大な態度を見せませんでした。
そして、そんなベルモンドは人生を楽しみ、女性遍歴も旺盛だったようです。
なんと、70歳の時には二人目の妻、ナッティ(Natty)の間にステラ(Stella)という女の子が誕生(2003年8月13日生)しています。
セザール授賞式でのジャン・ポール・ベルモンド
こちらは2017年のセザール授賞式の映像です。
ベルモンドの作品がビデオモンタージュの形で披露され、俳優たちがベルモンドに敬意を払って、4分間のスタンディングオベーションを送った時の模様です。
後半でベルモンドがスピーチをしています。
脳梗塞の後遺症なのか、たどたどしく話しているのですが、それでも皆を笑わせようとしていますね。
そんな彼を見守る周囲の人たちの温かさが伝わってきませんか?
ジャン・ポール・ベルモンドの死去
ベルモンドは、「ステラが成人する18歳までは、何としても生きていたい。」と話していて、その通り彼女が成人した日をお祝いし、約3週間後に眠りにつきました。
マクロン大統領は追悼式のスピーチの中で、「私たち(フランス人)がジャン・ポール・ベルモンドを愛しているのは、彼が少しも傲慢ではなく、私たちに似ていたからです。」と話しています。
ベルモンドの葬儀と追悼式
ベルモンドの葬儀は、サン・ジェルマン・デ・プレ教会で行われ、外では数百人の人々が見守りました。
この日、松葉杖をついたアラン・ドロンも出席し、ファンから声をかけられてマスクをはずし、笑顔を見せるシーンがありました。
ドロンのことを「le dernier vieux lion du cinéma français:フランス映画界の最後の老獅子」と表現するメディアの言葉を実感します。
しかし、それを跳ね返すかのように、『太陽がいっぱい』で魅惑的な青年だったドロンの現在の笑顔は、ファンを魅了していました。
ファンから何度も「Alain!」「Alain!」と、声をかけられていたからです。
ベルモンドの追悼式は、ナポレオンが眠るパリのアンヴァリッド(Les Invalides:廃兵院)で行われ、外部には大勢のファンが詰めかけ、大型スクリーンを見ながら最後のお別れをしました。
マクロン大統領は追悼の演説で、「Il restera à jamais L'As des as(彼はいつまでもエースの中のエースであり続けます。)」(“L'As des as”はベルモンド出演の映画タイトル)というように、ベルモンドの出演作品のタイトルやセリフをあちこちに引用して彼のエピソードを語ったので、ファンは嬉しかったことでしょう。
そして、最後は「Flic ou Voyou, toujours magnifique:警官でも、ごろつきでも、いつだって、素晴らしい」(このFlic ou Voyou, Magnifiqueも映画のタイトル)、「Adieu Bébel」と締めました。
出棺の時は、ベルモンドが生前に希望していた通り、映画『Le professionnel』の名曲、『Chi Mai』が演奏されました。
音楽隊のバイオリンの弦が「ピン」と弾かれた瞬間、外部にいたファンは『Chi Mai』だと理解して、一斉に拍手が沸き起こりました。
まとめ
2000年ごろのことで、奥様と愛犬が一緒、街の中で自然に溶け込んでいました。
「パリジャンは大スターと出くわしても大騒ぎせず、普通に応対する」と聞いていたので、ドキドキしながらそっと、後をついていきました。
「あの辺で、立ち止まっていたけれど、何を見ていらしたのかしら?」と思って行ってみたところ、何もありません。
ベルモンドの名誉のためにご説明すると、当時のパリジャンには、「犬の落とし物を拾う習慣」はまだなかったようです。
清潔な日本から来たエミレーヌは、下を向いて歩く習慣がなかったので、その後も何度か失敗しました。
話を変えると、現在は「グリーン・スクリーン」を使ってロケをしなくても映画が作れるようになり、CGを駆使すればスタントマンなしで、迫力のあるアクション映画が撮れる時代になりました。
テクニックもクオリティも上がって素晴らしいと思います。
でも、その分、リアルとバーチャルの区別がだんだんつかなくなってきているのではないでしょうか?
「えー?こんな危ないシーンを本物の人間が演じていたの?」なんて、未来の子供たちに言われる日も近そうですね。
ベルモンドの孫で、俳優のヴィクター・ベルモンドは、「彼は幸せを探すことだけではなく、それを人々に与えることをやめなかった」と話しています。
ベルモンドが体を張って遺した作品には、20世紀の人間味あふれた息使いが満ちています。
スイス・ジュネーブ在住
スイス生まれのフランス人と結婚した、二人の娘の母。
趣味は料理。フランス料理は義母から教えてもらったブルゴーニュ料理が得意。
特技や趣味など、詳しいプロフィールはこちら。