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今回は1995年に上映されて以来、熱狂的なファンがついているフランスのカルト映画『憎しみ(原題:La Haine)』をご紹介します。
本作の監督兼脚本のマチュー・カソヴィッツ(Mathieu Kassovitz)は、日本でも大ヒットした映画『アメリ(原題:Le Fabuleux Destin d'Amélie Poulain)』で主人公のアメリが恋するちょっと頼りない男性、ニノ・カンカンポワ(Nino Quincampoix)を演じていたので、ご存知の方も多いと思います。
ニノ役とは対照的に、社会に対し過激な発言をすることで有名なカソヴィッツですが、この作品ではフランス社会を批判するメッセージが強く込められています。
この映画では、郊外で話されている口語フランス語を聞くことができますが、アクセントがかなり強く、使われているフランス語単語も「逆さ言葉」や「俗語」がたくさん出てくるので、フランス語上級者でも慣れていなければ聞き取りづらいと思いかもしれませんので、日本語字幕があるDVD等は動画配信で観るのがおすすめです。
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フランスに震撼を巻き起こした映画『憎しみ』のあらすじ
パリ郊外にあるシテ(cité)と呼ばれる高層団地群で暴動が起こり、警察の介入により一人のアラブ系の若者が瀕死の重傷を負ってしまいました。
その若者の友達であり同じシテに住む、喧嘩っ早いユダヤ系白人のヴィンツ(Vinz)、お調子者のアラブ系でイスラム教徒のサイード(Saïd)、そして穏やかで冷静なベナン系キリスト教徒のユベール(Hubert)は、警察に対して「憎しみ」を抱いていました。
そんなある日、貸していたお金を返してもらいたいサイードの付き添いで、ヴィンスとユベールは偶然見つけたピストルを持ったまま、パリ市内に向かう事にしました。
パリに着くと建物は美しく、いつもは「敵」であるはずの警察官も、道を尋ねれば親切に答えてくれます。
ジャージ姿や革ジャン姿のいかにも「パリ郊外の若者」の格好をした彼らは、パリにいる事への違和感を感じ始めました。
ひょんな誤解でサイードとユベールは警察に拘束されてしまい、釈放される頃には郊外行きの最終電車が行った後でした。
始発電車の時間まで「パリ」に滞在しなければならない3人は、さらに現実を突きつけられる事になるのでした。
映画『憎しみ』がより面白くなる裏話
パリの郊外の若者の姿をリアルに描いたフランス映画『憎しみ』は、公開より30年近く経った現在でも色褪せない作品です。
ここでは、映画を理解するために4つの裏話を紹介します。
映画『憎しみ』は実話に基づく物語!
多くの人がイメージする「フランス映画」とは異なる映画『憎しみ』は、1993年4月6日にパリ18区で起こった「ンボウォレ事件」をベースに作られた作品です。
その日の明け方4時半頃、ンボウォレ(当時17歳)とその二人の友人が、タバコ屋でタバコを盗み、そのまま逃亡しました。
警察に捕まった3人ですが、彼らには余罪があると見た警察官は、ンボウォレの頭にピストルを突きつけて、他の犯罪も自白するように強要しました。
しかし、事故によりピストルは発砲してしまい、彼は亡くなってしまいました。
この事件があったその日に、警察のやり方に疑問を投げかけるため、カソヴィッツは一気に本作の脚本を仕上げたそうです。
映画『憎しみ』のロケ地の撮影許可取得の苦労話
映画の撮影に当たり、苦労したのが舞台となる「シテ」での撮影許可でした。
「街に悪いイメージを植え付ける」と言う理由から、市役所からはなかなか撮影許可が降りず、却下の数は20以上にも及びました。
唯一許可をしてくれたのが、パリのサンラザール駅(Gare Saint-Lazare)から電車で40分の所にあるシャントルー・レ・ヴィーニュ市でした。
映画の舞台となったレ・シテ・デ・ムゲ・エ・ド・ラ・ノエ(les cités des Muguets et de la Noé)は、シャントルー・レ・ヴィーニュ駅から徒歩5分に位置し、撮影当時そのままの姿を残しています。
映画『憎しみ』の撮影中の苦労話
撮影が始まってすぐ、シテを取り締まっていた不良グループによって撮影スタッフが襲われる事件が相次ぎました。
そこで、スタッフは2ヶ月間シテのアパートに住み、住民と知り合いになる事から始めたそうです。
その間に、アパートに空き巣に入る被害がありましたが、地区の若者のために活動するアソシエーション、レ・メサージュ(Les Messagers)のメンバーの協力を得て、シテの若者たちに「仲間=グラン・フレール(grands frères)」と認知してもらうことができました。
こうして、数ヶ月に及んだ撮影は無事に行われたました。
映画『憎しみ』がモノクロ映像にこだわった訳
監督のカソヴィッツは、何としてもモノクロでの作品を作りたかったのですが、制作会社の反対により、渋々カラーで撮影したそうです。
しかし、諦めきれなかったカソヴィッツは、何度も交渉してカラーとモノクロの2バージョンで劇場公開されることになりました。
上映されてみると、モノクロバージョンが圧倒的に人気を博したので、現在ではカラーバージョンは破棄されてしまったそうです。
モノクロに拘った理由として、カソヴィッツはこう語っています「カラー映像を見慣れてしまっているので、戦争中の映像のようなインパクトを与えたかった。また、モノクロにすることによってより肌の色が対照的になり、ヴィンスとユベールという全く違った登場人物を印象付けたかった」。
映画『憎しみ』を鑑賞した人なら誰もが知っている名台詞「Jusqu'ici tout va bien.」
映画『憎しみ』には心に残る名セリフが沢山ありますが、中でも特に有名なフレーズをご紹介します。
Jusqu'ici tout va bien.
(ここまでは全てうまくいっている)出典:『憎しみ』
「jusqu'ici」は「ここまで」と言う意味で、日常で使える便利な言葉です。
例えば、誰かに飲み物をグラスに注いでもらう際に、グラスに指を当てて「ここまで飲み物を入れてください」と言う意味で、「jusqu'ici」と使えます。
また、「tout va bien」は「万事うまく行っている」「絶好調だ」と言う意味で使われる言葉で、こちらも色々な場面で使える言葉です。
映画の始まりと終わりに入るユベールによるナレーションは、「ある建物の50階から飛び降りた、ある男性の物語だ」と始まり、「その男は落ちながら、自分を安心させるように何度も繰り返した。ここまでは全てうまくいっている(Jusqu'ici tout va bien.)・・・ここまでは全てうまくいっている・・・ここまでは全てうまくいっている。でも重要なのは、落下じゃない。着地なんだ」と続きます。
学校へも行かずに不良仲間とつるみ、現実を忘れるようにマリファナを吸う日々。
このままでいいとは決して思っていませんが、どうすればいいのか見えない将来。
最悪な方向へ向かっていると気がつきながらも、後戻りできない状況に「ここまではまだ大丈夫だ」と自分たちに言い聞かせる若者達の心境が映し出されているセリフとなっています。
そんな彼らの生き様を象徴するようなこのセリフ「Jusqu'ici tout va bien」は2019年のモアメッド・アメディ(Mohamed Hamidi)のパリ郊外を舞台にしたコメディー映画のタイトルにも使われています。
翌年の2020年には『憎しみ』25周年を記念して様々なイベントが行われました。
パリのパレ・ド・トウキョウ美術館では「Jusqu'ici tout va bien」というタイトルで、パリ郊外のクリシー・スゥ・ボワ(Clichy-sous-Bois)とモンフェルメイユ(Montfermeil)にある映画の専門学校の生徒たちを招いて展示会イベントを開催し、また、フランスの人気ラッパー歌手、グムズ(GIMS)が同名タイトルの曲を出しています。
ちなみに、この映画の専門学校創立者の一人、映画監督のラジ・リ(Ladj Ly)は、自らを「Génération de la Haine(『憎しみ』という映画世代)」と言っています。
まとめ
それまでにあまり描かれることのかなった、パリ郊外のシテに住む移民2世や3世の姿をリアルに描いた映画『憎しみ』は、30年近く経った今でも多くのフランス文化の中に影響を及ぼしています。
留学や観光でパリを訪れる場合、シテがあるような郊外に足を運ぶことはないと思いますが、シテで起こっている事は、フランス語を勉強する上で読み聞きするニュースに時事情報として必ず出てきます。
フランスに課された問題を理解するためにも、必ず観るべき映画の一つでしょう。
フランス・パリ在住の、気分は二十歳の双子座。
趣味はヨーロッパ圏内を愛犬と散歩することと、カフェテラスでのイケメンウォッチング。
パリ市内の美術館ではルーブル美術館、オルセー美術館とポンピドーセンターがお気に入り!
好きな映画は70代80年代のフレンチ・コメディ。
オススメや好きな作品は詳しいプロフィールで紹介しています。